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xoao

2016年03月21日

今回は止めておこ


料理が上手な訳では無いが、出来上がるものを何とか見繕い、それらしく見せるのが比較的得意な方だと思っている。途中で「あぁ、これは、上手く行かないだろうな」と思っても、何とか最終的に「かたち」に持って来れていた。
ある日のことだった。グローサリーストアでローカル産の袋入りのリンゴが良心的な値段で売られていた。そのリンゴは通常売られているリンゴよりもワックスもかかっておらず美味しそうだった。一度その袋を手に取ったものの、何かを作る予定もないし、作る時間もないから今回は止めておこう、、と思いとどまり、レジに並んだ。ところが隣のレジに並んでいる人がその袋を手に持っていたのを見て、
そうよね、やっぱり、それはお買い得よね、、
と思い直し、「ちょっと買い忘れたものがあるから、取って来るので待ってて!」とレジの人に言い伝え、お店の中を直線に走り、リンゴの袋を一袋摑んだら、あたかもバトンを受け取ったリレー選手のようにレジに小走りに戻って行った私だった 。
ということで、我が家にはリンゴが山積みになっている。案の定、15~6個は入っている袋のリンゴは毎朝頂いても一向に減らず、やはりこれは何かを作らなくては、、とリンゴを消費する方法を考えることにした。
リンゴを使った料理、お菓子、、、、、食べたいもの、、、何だろう、、
と考え思いついたのは、あのレシピだった。それは作るのに苦労した覚えがあるレシピ、2007年に103歳という長寿で亡くなられた料理研究家の飯田深雪さんのレシピだったcancer chinese medicine
  


Posted by xoao at 13:17Comments(0)生活

2016年03月21日

全てが均一でない様


日本の真っ白なご飯は世界に誇れる「ごはん」だと思う。炊きあがった時のあの香り、そして艶。思い出すと郷愁と共に、もれなくその他の和食の映像が思い出される。湯気の立つお味噌汁、お漬物、お魚、煮物、、、、。他の国のお米とは違い、透明感のあるこの香り、そしてその佇まいは、「とても日本的」だ。そう、きちんとしている。
15年以上前にアメリカに赴任し、初めて日本を第三者的客観的立場から眺めることが出来た。その当時はアメリカかぶれの観光客気分だったから、アメリカのことは客観視することが出来ず、ただただ「アメリカ」を楽しんでいた。そして、チリに渡り、またアメリカに戻り、アメリカ生活が長くなるに従って、日本同様にアメリカにいながらもアメリカのことをやっと客観視出来るようになった。観光客ではなく水腫、住人として、冷めた目で見ることが出来るようになってきた。日本の良さ、アメリカの良さ、日本食の特徴、アメリカ食の特徴、それぞれの良さ。
私は料理が好きだ。作るのも食べるのも見るのも好きだ。料理に関する本や番組であれば、はてしなく見ることが出来るだろう。料理雑誌をパラパラとめくっていると、近年では料理に国境がなくなりつつあるのを感じる。日本でも「アメリカ的」なレストランが増えているように、こちらでも和素材を使った料理や、それを出すレストランが増えている。しかし、同じ名前を持つ料理でも土地が変わると、やはりその土地の文化の色が現れ、アメリカの和食は和食になり切れず、そして日本のアメリカ食はアメリカ食になり切れていないように思うのだ。
日本人はとても真面目で律儀できちんとしていて、、、そう、だから料理も「きちんと」してしまう。人気のあるレストランがアメリカ料理を出していても、良い素材を使い美味しそうで、とてつもなく綺麗なのに、なぜか「アメリカ」を感じない。あと一歩のダイナミックさ、少し崩れるような盛り付け方、全てが均一でない様子はやはりアメリカ人にしか出来ないのかもしれない。雑であることが完全な形なのだ。昔ながらの、ママが作ってくれたような薄切り食パンに卵サンドは別の話だが、簡単なサンドウィッチにしても、アメリカンなサンドウィッチはやはりアメリカのものの方が美味しそうに見え、日本ではサンドウィッチは食べたいと思わなくなってしまった。
同じようにアメリカの和食は日本人シェフが作らない限りはspa 香港、全く日本的ではない。定評のある料理雑誌が和素材を取り上げることが多くなった今日で、そのレシピを写真と共に紹介していても、どれも「これは日本人が作ったのではない」とすぐに分かるのは、ここ一歩というところで「きちんとさ」に欠けているからだろう。それに絶対にありえない食の組み合わせもある。それが目からうろこで、は!と思わせてくれることもあるが、でもやはり、その斬新な和食は「和食」では無いのだ。
アメリカに長く住むようになり、日本の文化から遠のいている私自身の中身が、どっちつかずだなと思うことも最近良くあるのだが、その自身同様に、料理もいわばどっちつかずかもしれない。だから他の人が作ったもののことはとやかく言えないのは分かっている。でもそのどっちつかずの中でも、アメリカで生活し良かったと思うのは、アメリカ的な料理の盛り付けや素材の使い方を少しでも肌で学べ「きちんとしていない」ことも魅力なんだと学べたことだろう


  


Posted by xoao at 13:17Comments(0)生活